モラトリアム的生活

仮面浪人時代のブログ

モラトリアム的浪人生活のすすめ

大半の日本人にとって大学生活は単なるモラトリアム期間の延長であるが、東大合格という旗印の下で上昇を志している俺だけは特別でありたいと思い何とか群衆から脱しようとするも、結局は大学受験勉強の呪縛にとらわれ、若くして人生が滞留している小市民にすぎない、といったような空回り感やうら悲しさ、上昇志向と停滞が混濁した中途半端な生活形態をこめて本ブログが名づけられ、そして仮面浪人という極めて反大学生的でマニアックな界隈で本ブログが静かに始動した。今から遡って10年前、慶應義塾大学経済学部在籍の時分である。

 

戦略的に受験勉強を進め、粛々と記録し、結果的に俺は志望校である東京大学文科二類に合格した。大学受験ブログとしての役割を終え、このブログで"部分的に切り取られる"俺の合格ストーリーは終焉した。しかしこれはリアリティを持った一人の人生におけるワンシーンであり、「ドラゴン桜」のように志望校に合格してハッピーエンドではない。その後も続いていくのである。俺について言えば東大入学後、平均的な点数を確保して経済学部へ進学。大学3年生になるとハイキャリアの椅子を巡って就職活動。入社後は自らのマーケットバリューを高めるために日々格闘し、現在は秘密裡に(ブログで公開している点で理論上全人類が知っている)転職活動を行い、内定を勝ち取り入社予定である。

 

無色透明色の東大受験生であり、"無限の可能性"を持っていたかつての俺は現在、金融市場に照準を合わせて、マニアックな道を突き進んでいる。10年前に志向した「モラトリアム的生活」の一切を捨てている状況である。眼前に漠然と広がっていた世界は、金融市況と企業財務で埋め尽くされるようになった。

第一志望を諦められない人、全部落ちた人、高校卒業数年後に奮起した人など、浪人生に堕した(?)様々な事情があると思うが、浪人生の存在意義は"大学受験のために勉強して結果を出す"ことの一点に集約されており、単純明快である。高校生・大学生の存在意義や目的が百人百様であることとは真逆の様相である。

 

浪人生の時間と戦略は、"志望校に合格する"という究極的な目標のためだけに存在する。それは紛うことなき事実だと思うが、先述した通り、合格/不合格になったことと同時にストーリーが終焉するわけではない。その後も続くのである。

 

今・ここの時点で将来を見ると、近世オランダ史が、古代日本政治史が、確率漸化式が、古文単語が、自由英作文が直接的に有用になることは皆無である。いや、英作文は滅茶苦茶使うか。

しかしもう少し視座を高いところに置くと、どうしたら少しでも多くのインプットができるか、モチベーションが落ちている時にどのように元に戻すか、自分の体に合う最も効率的な疲労回復は何か、スケジュールをどう組み立てて修正するか、難しい問題に対してどう解決策を探るかなど、個別具体的な勉強内容や項目から一段階上の抽象的・汎用性のある能力につながるのである(断言)。大学受験後のより広く漠然とした世界で戦っていく上での戦闘力を高める基礎体力となりうる。

 

今はとても辛いが、いつか・何らかの形で、何かのアウトプットにつながっていくであろうと信じること、所謂、スティーブ・ジョブズ式"connecting the dots"的発想である。

 

極めて短期的で、硬直化して、偏差値で序列化された大学受験勉強は、2月3月時点の合格へ直線上に伸びていると同時に、それは線分ではなく、その後も続いているものと言える。暴力的で圧倒的な勉強により崩壊寸前の精神状態でいる現在は、その後に伸びていく半直線上での助走期間である。

 

孤独・莫大・曖昧・漠然・焦燥・苛立ちで流れる時間の中で、真剣に思考し苦悶し、時には衝動的に旅をしたりする生活形態であるモラトリアム的浪人生活に対して、敢えて積極的に没入することを、浪人の一経験者で今現在モラトリアム的生活を断ち切った俺から、強く勧めたい。